『マイ・ウェイ』
福島県の南会津一帯は、野岩(やがん)鉄道の開通によって、東京との距離をずいぶんと縮めることになった。
県都の福島市にいくよりも浅草のほうが時間的に近いほどだ。山襞(やまひだ)を縫いトンネルをくぐつて栃木県を過ぎ、福島県にはいってすぐにあるのが会津高原駅だ。
バスに揺られて三十分、館岩(たていわ)村に着く。
山は深く谷間には清き水が流れ、温泉が湧いている。
なんとものどかな村なのである。そこに若き友人がいる。
彼は八ヵ月前村長を媒酌人に結婚した。彼は村役場に勤め、彼女は農協に勤めている。農林業を営む家業を手伝ってもいる。
共働きの夫婦としてここまでは何でもないのだ。
ところが、彼らは入籍をしていなかったのだ。理由はこうだ。彼は長男で一人っ子、彼女は二人姉妹なのだが、妹のほうはすでに結婚して姓が変わってしまった。
結婚してどちらの姓を名乗るかで、やがてどちらかの家が消滅してしまうというようなことになってしまう。嫁にもらうか婿養予にもらうかで両家め綱引きがあり、本人としたらあちら立てればこちら立たずで、最終決定を回避するかたちで入籍をせずにきたのだ。
もし私がそんな立場になったならば、二人で逃げだしてしまうかもわからない。若いのだし、どんな生き方でもできるのだ。彼らは村が好きなので、ここに踏みとどまっている。そして、すべての現実を受け入れようとしている。踏みとどまって闘っているからこそ、入籍ができないのだ。
「あまりにも長い春だったからなあ。十年間の春だから。俺が一肌脱いで仲人してやったんだが……。入籍してないって聞いたのは最近のことなんだよなあ」
一夕(いつせき)、私は村長と盃を傾けた時、彼の話がでた。
「この村ではそんなことがよくあるんですか」
「はじめてのケースだ。嫁不足で、結婚できない男がいるのは事実だが」
「一肌脱ぎついでに、もう一肌脱いでやってくださいよ」
「そうだな。わかった。子供をつくってもらうべ。家は子供に継がせればいいんだから。手はいくらだってあるはずだよ」
村長と私とはこんな会話をしたのだった。すぐそばには彼も彼女もいた。村長が帰っていった後、彼は頭に手をやってこういった。
「まずいなあ。明日役場にいったら何かいわれんだべか」
彼らは別々の集落にあるそれぞれの実家をいったりきたりして、寝泊まりしているのだ。話を聞いていると、この頃はどうも彼女の家にいることのほうが多いらしい。生活ということでは、やはり女のほうが強いようだ。
「見ちゃいらんなくてさ。おせっかいのようだけどさ」
彼と会って酔っ払うたび私は彼にも彼女にもいう。彼らにしてみればまわりからもう嫌になるほどいわれていることに違いない。結論をだせといわれても、どうにもならない事情がある。結婚式はやるが籍はいれないという道を人生哲学上のことでたどっているのならそれでいいのだが、彼らは違う。平凡な形に彼らとしてもしたいのだ。
「そろそろ結論だそうと思って」
彼は酒のなみなみとはいった茶碗を持っていう。そうかとまわりが気色ばみ、私はこういう。
「彼女の家にはいるんだろう」
「まあ、そんなところです。どうしてわかるんですか」
「わかるさ。自分の親はどう思ってるの」
「そんなもんだろうなって思ってるんじゃないですか」
どこまでも優しい青年なのである。こちらが歯がゆくなるほどやさしい。そんな青年ばかりが少数派として村に残っているために、彼らが時代の矛盾というものを浴びてしまうのだ。はたから見ればまだるっこしいやり方なのだが、彼らは彼らなりのやり方で押し通していくのだろう。それもいいではないか。